チェルシー在籍時の通算ゴール数トップ10

1905年3月10日に設立された、ロンドンの偉大なクラブであるChelsea(チェルシー)。
これまでの輝かしい成績とともに、数多くのゴールも生まれてきました。
そこで、チェルシー在籍時における通算ゴール数トップ10をご紹介します。

※特に昔プレーした選手は、各サイトによってゴール数などが異なります。今回は、transfermarkt.jp様を参考に記事を作成しています

目次

チェルシー通算ゴール数トップ10

それでは、チェルシー在籍時における通算得点ランキングをご紹介します。

10位 Tommy Baldwin(87ゴール)

Tommy Baldwin(トミー・ボールドウィン)は、1945年6月10日生まれのMFおよびFWで、イングランドのゲーツヘッド出身です。
2024年1月22日、78歳で亡くなりました。

1966年7月、アーセナルからの移籍で加入しました。
マンチェスターシティ戦でデビューゴールを記録し、最初のシーズンに17ゴールを獲得しました。
1974年まで在籍し、220試合で87ゴールを獲得しました

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10位 Jimmy Floyd Hasselbaink(87ゴール)

Jimmy Floyd Hasselbaink(ジミー・フロイド・ハッセルバインク)は、1972年3月27日生まれのFWで、南米のスリナムという国の出身で、オランダ代表としてプレーしました。
1999年にアトレティコ・マドリードで34試合24ゴールと活躍したものの、チームが2部に降格。移籍金1500万ポンドでチェルシーに移籍しました。

デビュー戦でゴールを決めるなど、最初のシーズンでリーグ戦23ゴールにより得点王を獲得。全コンペティションでは26ゴールをあげました。
更に、2シーズン目の2001-02シーズンには29ゴールをあげました。
残り2シーズンはややゴールが減り、2004年にアブラモヴィッチ体制になったタイミングでミドルスブラに移籍しました。

チェルシーでは通算177試合87ゴール35アシストを記録し、クラブの背番号9を最も長く背負い、そして最も活躍した選手と言っても過言ではありません

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8位 Roy Bentley(92ゴール)

Roy Bentley(ロイ・ベントリー)は、1924年5月17日生まれのFWで、イングランドのブリストル地区シャーハンプトン出身です。
ブリストルシティやニューカッスルでプレーした後、1948年1月にチェルシーに1万1000ポンドで移籍しました。
1954-55シーズンには、キャプテンとしてチームを率い、ニューカッスル戦でのハットトリックなど活躍し、チームを初のリーグ優勝に導きました
チェルシーでは通算236試合で92ゴールを記録しました。

7位 Eden Hazard(110ゴール)

チェルシーのスーパースターであるEden Hazard(エデン・アザール)は、チェルシーで最も活躍した10番と言っても過言ではありません。
1991年1月7日生まれのウィングで、ベルギーのラ・ルヴィエール出身です。
14歳の時にベルギーから移り、フランスのリールの下部組織に入団します。

2007年11月、16歳でリーグアンデビュー。2010-11シーズンと、2011-12シーズンに2年連続でリーグMVPに選出されました。
2012年6月、マンチェスターユナイテッド、マンチェスターシティ、トッテナムなどのビッグクラブへの移籍が噂される中、自身のSNSで、「欧州チャンピオンズリーグ王者と契約する」と公表。
チェルシーはアザールのユース時代からスカウトを送り続けており、念願の獲得となりました。
移籍金は3,200万ポンドで、当時は背番号17をつけていましたが、Mata退団後の2014-15シーズンから10番を背負いました。

2012-13シーズン、開幕戦から3試合連続でMOMに選出。年間で62試合出場、13ゴール。クラブはUEFAヨーロッパリーグタイトルを獲得。1年目ながらPFA年間ベストイレブンに選ばれました。
2013-14シーズン、クラブとしては久しぶりの無冠となりましたが、個人としては49試合17ゴール。PFA年間ベストイレブンとともに、PFA年間最優秀若手選手賞を受賞しました。
2014-15シーズン、背番号が10に変わります。リーグ戦で37試合14ゴール8アシスト、クラブは5年ぶりにリーグ優勝を果たしました。またEFLリーグカップを優勝。年間では52試合10ゴール。プレミアリーグ年間最優秀選手賞、PFA年間最優秀選手賞、FWA年間最優秀選手賞を獲得しました。
2015-16シーズン、年間で43試合に出場するもわずか6ゴールに終わり、チームも二桁順位に終わりました。5月2日のトッテナム戦では83分に同点ゴールを決めて、トッテナムの初優勝を阻止しました。
2016-17シーズン、年間43試合で17ゴール。チェルシーは2年ぶりにリーグ優勝を果たし、個人としてもPFA年間ベストイレブンに選ばれました。
2017-18シーズン、年間51試合で17ゴール。チームはFAカップで優勝を果たしました。
2018-19シーズン、年間52試合で21ゴール。UEFAヨーロッパリーグ決勝でアーセナル相手に2ゴール1アシストと大活躍。4-1と快勝し、タイトルをもたらしました。リーグ戦の16ゴールはチーム最多、15アシストはリーグ最多でプレミアリーグプレイメーカー賞を受賞しました。ドリブル突破成功率は61.61%で欧州5大リーグトップでしたクラブ内の年間最優秀選手賞受賞は4度目で、これは史上最多です

2019年6月、ファンを公言していたレアル・マドリードへ完全移籍しました。移籍金は公表されていませんが、1億ユーロと2000万ユーロのボーナスと報道されました。
チェルシーでは通算352試合に出場し、110ゴール85アシストを記録しました
23/24シーズン、レアル・マドリードとの契約が解除され、無所属の状態が続いた後、2023年10月10日に現役引退が発表されました。

2008年11月、17歳でベルギー代表デビュー。通算126試合に出場し、33ゴール。2014年、2018年、2022年ワールドカップに出場しました。

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6位 Kerry Dixon(114ゴール)

Kerry Dixon(ケリー・ディクソン)は、1961年7月24日生まれのストライカーで、イングランドのルートン出身です。
1983年8月にチェルシーに加入しています。

1984/85シーズンは45試合に出場し、25ゴールと大活躍しました。
毎シーズン二桁ゴールと安定した成績を残し、1992年夏まで在籍しました。
通算で290試合に出場し、114ゴール17アシストを記録しました。

5位 Jimmy Greaves(131ゴール)

Jimmy Greaves(ジミー・グリーブス)は、1940年2月20日生まれのFWで、ロンドンニューアム区マナーパーク出身です。
1955年からチェルシーのユースチームに在籍し、1957年にプロ契約してデビューを果たしました。

1960年には、史上最年少の20歳290日でリーグ通算100得点を達成しました
1960/61シーズンの41得点は現在もクラブ記録として残っています
1959年と1961年に2度得点王に輝いています。

チェルシーには1961年まで在籍し、164試合で131ゴールと短い在籍期間で圧倒的な成績を残し、ACミランへと移籍しました。
チェルシー在籍期間中の1試合あたりのゴールは驚異の0.8を記録しました
ACミランで活躍したものの、1年でトッテナムに移籍すると、10年間の在籍期間で4度の得点王に輝くなどし、トッテナムのレジェンド選手となりました。
1960年代のイングランドを代表するストライカーの一人となりました。

4位 Peter Osgood(139ゴール)

Peter Osgood(ピーター・オスグッド)は、1947年2月20日生まれのFWで、イングランドのウィンザー出身です。
1964年7月にチェルシーのU-18チームからプロに昇格しました。
1974年7月にサウサンプトンに移籍するまで10年間を過ごした後、1978年12月に復帰し、翌年9月にチェルシーで引退しました。

キャリアハイの成績となったのは1969/1970シーズンの38試合23ゴールという成績で、このシーズンにFAカップ優勝を果たしています
他のシーズンも安定した成績を残し、通算356試合出場で139ゴールを獲得しました。

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番外編 現役選手のチェルシー通算得点は?

通算得点ランキングにランクインしている10人は、既に全員引退しています。
現役選手で、チェルシー在籍時に通算得点が最も多いのはWillianで、63ゴールを獲得しました

1988年8月9日生まれのウィングで、ブラジル・サンパウロ州のリベイラン・ピレス出身です。
コリンチャンスの下部組織出身で、コリンチャンス、シャフタール・ドネツクで活躍。
ロシアのアンジ・マハチカラを経由し、2013年8月チェルシーに3,000万ポンドで完全移籍しました。
加入当時は背番号22で、2019年にEden Hazard(エデン・アザール)が退団後に背番号10を引き継ぎました。

1年目の2013-14シーズンから年間42試合に出場し、4ゴールをあげました。
2014-15シーズンは年間49試合に出場し、4ゴール。EFLカップ準決勝のリヴァプール戦で、延長前半にフリーキックからIvanović(イヴァノヴィッチ)の決勝ゴールをアシスト。決勝戦もスタメン出場し、EFLカップ優勝に貢献したほか、リーグタイトルも獲得しました。
2015-16シーズンは年間49試合に出場し、11ゴール。このうち6ゴールは直接フリーキックによるもので、このシーズン、欧州で最も直接フリーキックによりゴールをあげた選手になりました。チャンピオンズリーググループリーグのベストイレブンに選ばれたほか、チェルシーのクラブ内最優秀選手に選ばれました。
2016-17シーズンは年間41試合に出場し、12ゴール。FAカップ準決勝のトッテナム戦で2ゴールをあげ、決勝進出に貢献したほか、チームはリーグ優勝も果たしました
2017-18シーズン、年間55試合に出場し、13ゴール。チェルシーでの公式戦200試合出場を達成しました。チームのFAカップ優勝にも貢献しました。
2018-19シーズン、年間56試合に出場し、8ゴール。チームはUEFAヨーロッパリーグを優勝しました。
2019-20シーズン、年間47試合に出場し、11ゴール。背番号を10に変更して挑んだシーズンでした。チームの補強禁止処分により若手主体で臨んだシーズンを奮闘し、チームのチャンピオンズリーグ圏内の4位に導きました

長期契約を望むWillian(ウィリアン)と、単年契約を望むクラブ側で折り合わず、契約延長交渉が不調に終わったことから、2020年8月にアーセナルへフリー移籍しました。
その後はコリンチャンスへ復帰し、22/23シーズンに加入したフラムではチェルシー相手にゴールを決める場面もありました。
23/24シーズンもフラムで過ごし、24/25シーズンにはギリシャの名門オリンピアコスにフリー移籍しました。

ブラジル代表としては70試合に出場し、9ゴール。2014年、2018年のワールドカップに出場しており、2019年のコパ・アメリカでは背番号10を背負い、優勝に貢献しました。

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3位 Didier Drogba(164ゴール)

チェルシーのレジェンドであるDidier Drogba(ディディエ・ドログバ)は、1978年3月11日生まれのFWで、コートジボワールのアビジャン出身です。
彼はフランスのマルセイユでプレーしていましたが、チャンピオンズリーグでモウリーニョ率いるポルトと対戦したことで目に留まり、モウリーニョがチェルシーの新監督となった2004/05シーズンにチェルシーに移籍しました。
移籍金は、当時クラブ最高額の3,600万ユーロと推定されています。

背番号15を着用して臨んだ1年目、2004/05シーズンは通算41試合に出場し、16ゴール9アシストと1年目からまずまずの記録を残し、モウリーニョ体制1年目でプレミアリーグ優勝を勝ち取りました
翌2005/06シーズンは41試合に出場し、16ゴール16アシストを記録し、プレミアリーグ2連覇を達成しました

背番号を11に変更して臨んだ3年目の2006/07シーズン、Andriy Shevchenko(アンドリー・シェフチェンコ)が加入すると2トップで起用されるようになり、これがきっかけで大ブレイク。
通算60試合に出場し、33ゴール11アシストを記録しました。プレミアリーグでは20ゴールにより得点王を獲得し、アフリカ年間最優秀選手にも選ばれました。
このシーズン、リーグ3連覇は逃したものの、カーリングカップとFAカップの2冠を達成しました。

2007年9月にモウリーニョが電撃辞任したことで、フットボールディレクターだったGrant(グラント)が監督に就任。
プレミアリーグの優勝争いと、クラブ史上初めて進出したチャンピオンズリーグ決勝のいずれでもマンチェスターユナイテッドに敗れたことで、4年ぶりの無冠となり、Grantは辞任しました。
この年のDrogbaは、32試合出場で15ゴール7アシストと、まずまずの成績に終わりました。

2008/09シーズンは、ポルトガル代表監督を退任したLuiz Felipe Scolari(ルイス・フェリペ・スコラーリ)が新監督に就任。
モウリーニョやグラントのカウンターサッカーにポゼッションを加えましたが、2009年2月時点で4位と苦戦し、シーズン途中で解任されることになりました。
この間、Drogbaは負傷の影響などにより控えに回ることが増えていました。
しかし代わって就任したGuus Hiddink(フース・ヒディンク)のもとでは、Nicolas Anelka(ニコラス・アネルカ)との2トップにより復調し、このシーズンは42試合出場で14ゴール5アシストを記録しました。

2009/10シーズンからは、Carlo Ancelotti(カルロ・アンチェロッティ)が新監督に就任すると、Nicolas Anelkaとの2トップによりゴールを量産しました。
このシーズン、44試合に出場して37ゴール16アシストと圧巻の成績を残しました
プレミアリーグでは29ゴールで得点王を獲得、チームも総得点103点を記録したことで最多得点記録を更新しました。
更にはFAカップを優勝し、Ancelotti体制1年目で2冠を達成しました。

Ancelotti体制2年目となった2010/11シーズンは、けが人続出により3シーズンぶりの無冠となりました。
Drogbaは46試合に出場し、13ゴール19アシストでした。

そして2011/12シーズン、André Villas Boas(アンドレ・ビラス・ボアス)新監督のもと再起を図りますが上手くいかず、2012年3月からアシスタントコーチのRoberto Di Matteo(ロベルト・ディ・マッテオ)が暫定監督に就任します。
するとチームは調子を上げて、FAカップでリヴァプールを破り優勝。
UEFAチャンピオンズリーグでは決勝戦でバイエルンミュンヘンと対戦。後半37分に先制点を奪われますが、後半43分にコーナーキックからDrogbaがヘディングで合わせて同点。延長戦では、DrogbaのファウルでPKとなりますがキーパーCech(チェフ)がこれを防いで、PK戦へ。5人目のキッカーだったDrogbaが決めて、初優勝を果たしました

この試合を最後に、Drogbaの退団が決まっていました。
2012年6月、Drogbaは中国スーパーリーグの上海申花に移籍することが発表されました。

給料未払い問題などから上海申花を退団してトルコのガラタサライに移籍し、2014年7月、チェルシーに復帰することが発表されました。
チェルシー復帰後の初ゴールは、2014年10月、チャンピオンズリーグのNKマリボル戦でした。
このシーズンは最終的に通算40試合に出場し、7ゴール2アシストを記録しましたが、2014年5月にチェルシー退団を発表しました。
その後、MLSのモントリオールなどでプレーし、2018年11月21日に引退を発表しています。

チェルシーでは通算381試合に出場し、164ゴール88アシストを記録しました

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2位 Bobby Tambling(177ゴール)※202ゴール

Bobby Tambling(ボビー・タンブリング)は、1941年9月18日生まれのストライカーで、イングランドのウェスト・サセックス州ストリントン出身です。
1957年、15歳のときにチェルシーの下部組織に入団しました。
1959年、17歳の時にウェストハム戦でプロデビューし、2年後には1stストライカーとしてレギュラーを掴みました。
1960年代には5シーズンに渡ってチーム得点王になるなど活躍しました。

チェルシーは2部降格を味わうなど苦しい時期を味わいましたが、それでも主力のTamblingはチームに残留し、1962年からはキャプテンに任命されました
すぐにチームは1部復帰を果たし、1965年のフットボールリーグカップ(現在のEFLカップ)優勝にも貢献しました。
1960年代の終わりに差し掛かると、若いストライカーにポジションを奪われることが増え、1969/70シーズン終了後にクリスタルパレスに移籍しました。

transfermarkt.jp様によると、チェルシーでは通算328試合に出場し、177ゴール6アシストを記録しました。
チェルシー公式サイトでは、チェルシー在籍期間に202ゴールを記録したとされています。
このゴール数は、2013年5月11日にFrank Lampard(フランク・ランパード)が更新するまで、47年間に渡り破られることはありませんでした

2004年、チェルシーでの多大な功績を称えられ、Stamford Bridge(スタンフォード・ブリッジ)に彼の名前を冠したスイートルームが建てられました。
クラブ創立100周年を記念して選ばれる、クラブ史上最高のベストイレブンにも選出されました

1位 Frank Lampard(211ゴール)

チェルシーのレジェンドと聞いて、Frank Lampard(フランク・ランパード)の名を思い浮かべない人はいないでしょう
1978年6月20日生まれのミッドフィルダーで、ロンドンのヘイヴァリング区出身です。

ゴールに一番近いポジションである「ストライカー」がこれまで名を連ねてきた中で、Lampardは豊富な運動量を活かした「ボックストゥボックス型」の選手で、セントラルミッドフィルダーや2ボランチの一角としてプレーしながら、そのIQの高さから、エリア内でスペースを見つけてゴールを決めるという比類なき能力の持ち主でした

父もサッカー選手で、ウェストハムで500試合以上に出場したレジェンド選手です。
彼はウェストハムの下部組織でキャリアをスタートし、1995/96シーズンにプロデビューを果たします。
ウェストハムで徐々に頭角を現していましたが、当時彼の伯父が監督、同じく父親がコーチを務めており、自身の調子が悪い時には痛烈に批判を浴びていました。
なかなかファンから愛されることができず、伯父が不明確な理由でクラブから解雇されたことをきっかけに、2001年夏、移籍金1100万ポンドでチェルシーへ移籍します

彼は加入してすぐに背番号「8」を背負い、退団までその背番号を背負うこととなります。
加入してすぐは、Jimmy Floyd Hasselbaink(ジミー・フロイド・ハッセルバイン)やEmmanuel Petit(エマニュエル・プティ)などの大物選手たちとプレーし、緩やかなスタートを切ります。
それでもコンスタントに試合に出場し、2005年12月にウィルス性疾患で欠場するまで、プレミアリーグ164試合連続出場という、フィールドプレイヤーとしては新記録を打ち立てました

2004年にMourinho(モウリーニョ)が監督に就任すると、国内選手にチームを引っ張ってほしいという方針から、John Terry(ジョン・テリー)がチームキャプテン、Lampardが副キャプテンを任せられ、1954/55シーズン以来、50年ぶりとなるトップリーグ優勝を果たしました
2005年には、プレミアリーグ創設以降2クラブ目となるリーグ2連覇を達成し、バロンドールとFIFA最優秀選手賞の両部門で、ロナウジーニョに次ぐ2位の得票数を獲得しました。

2008年5月21日、UEFAチャンピオンズリーグ決勝でマンチェスターユナイテッドと対戦し、45分にLampardが同点ゴールを決めたものの、PK戦で敗れ、初優勝を逃しました
その翌年のシーズンオフ、Mourinhoが監督を務めていたインテルに移籍する噂が流れたものの、チェルシーに残留して新たな5年契約を結び、チェルシーでキャリアを終える意向を明らかにしました

2009/10シーズン、チェルシーでのプレミアリーグ100得点を達成したほか、5年連続となるシーズン20得点を達成し、更にチームは4シーズンぶりとなるリーグ優勝を果たしました。

2012年4月9日のフラム戦で、プレミアリーグ通算150得点を記録し、これはプレミアリーグのミッドフィルダーとして史上初の記録となりました

2012年4月24日、チャンピオンズリーグ準決勝バルセロナ戦2ndレグでは、マスチェラーノのプレスを弾き飛ばしてRamiresに絶妙なアシストを決めて、決勝進出へ大きく貢献します。
そして2012年5月19日、チャンピオンズリーグ決勝戦では出場停止のJohn Terryに代わってキャプテンマークを巻き、PK戦の末にバイエルンミュンヘンを破って、悲願のビッグイヤーを掲げました

2013年5月11日、アストンヴィラ戦で2得点を決めて、チェルシー在籍中における最多得点記録を塗り替える203ゴールを記録しました
チェルシーで最後のゴールとなったのは、2014年4月6日、ストーク戦でPKのリバウンドを決めたゴールで、今も破られていないチェルシーでの211ゴール目となりました。

Lampardはチームで13年間を過ごし、2014年6月にチームを去る決断をしました。
2014年7月24日、アメリカのメジャーリーグサッカーに2015年から創設されるニューヨーク・シティへの加入が発表されました。
メジャーリーグサッカーが開幕するまでの間、プレミアリーグのマンチェスターシティにレンタル移籍することが発表され、チェルシー戦では貴重な同点ゴールを決めるという場面もありましたが、喜びの表情は見せませんでした。

シティのペレグリーニ監督の希望により、結局は2014/15シーズン終了までシティでプレーし、2015年夏からニューヨーク・シティでプレーしました。
2015年と2016年のシーズンをニューヨークシティで過ごし、チームを退団。
2017年2月に、自身のFacebookで現役を引退することを発表しました

指導者としても、チェルシーで2度監督を経験しましたが、ここでのご紹介は割愛させていただきます。

現在籍選手の通算得点ランキング(随時更新)

新オーナー就任をきっかけにメンバーが大きく入れ替わったチェルシーですが、現在在籍している選手の通算得点ランキングをご紹介します
なお、ローン移籍中の選手も除きます。
随時更新していきます。最終更新日は2024年11月5日です。

3位 Noni Madueke(14ゴール)

3位にランクインしたNoni Madueke(ノニ・マドゥエケ)は、2002年3月10日生まれの22歳で、主に右ウィングでプレーしています。
クリスタルパレスやトッテナムの下部組織に所属した後、オランダのPSVの下部組織に入団し、19歳の時にPSVでトップチームデビューをしました。
チェルシーには2023年1月に加入しています。

22/23シーズンはチェルシーが新オーナー体制となった1年目で、チームはとても不安定な時期を過ごし、最終的に12位でフィニッシュしましたが、その中でも光るものを見せていたのがMaduekeでした。
プレミアリーグ34節のアーセナル戦では、チェルシー移籍後初ゴールを記録しました。

23/24シーズンはPochettino(ポチェッティーノ)体制となりましたが、シーズン当初に加入したPalmer(パーマー)が右ウィングで起用されながら圧倒的な活躍を見せたことで、Maduekeはリーグ戦では途中出場が増え、カップ戦を主戦場とするようになります。
それでも短い出場時間の中で素晴らしいゴールを決めており、リーグ戦は23試合で5ゴール2アシスト、カップ戦は11試合3ゴール1アシストを記録しました
中でも、FAカップ準々決勝のレスター戦ではスーパーゴールを決め、クラブの月間ベストゴールを獲得しました。

24/25シーズンになってMaresca(マレスカ)体制になると、Palmerを中央、Maduekeを右ウィングで先発起用するようになります。
開幕戦以外のリーグ戦で全て右ウィングでスタメン出場しており、しっかりとレギュラーを掴んでいます。
8月26日のウルブス戦ではハットトリックも記録しており、現在リーグ戦は5試合3ゴールとなっています。
Maresca体制になって、ウィングの選手がしっかりと守備に戻るように意識づけられています。
Maduekeも、攻撃面で上手くいかない日もしっかりと守備で貢献してくれていることから、レギュラーとして定着できているように感じます

現在ローン移籍中のSterling(スターリング)がチェルシー在籍中に記録している19ゴールを、今シーズン中にも上回ることを期待したいですね。

2位 Nicolas Jackson(23ゴール)

Nicolas Jackson(ニコラス・ジャクソン)は2001年6月20日生まれの23歳で、セネガル代表としてもプレーしています。
2018年にセネガルのカサ・スポルトというクラブでプロキャリアをスタートし、2019年9月にラ・リーガのビジャレアルに移籍しました。
22/23シーズンはリーグ戦26試合で12ゴール4アシストと活躍し、そのシーズンオフにチェルシーに完全移籍しました。
移籍金は3700万ユーロと報道されています。

裏抜け時の圧倒的なスピードがありつつ、深い位置から重戦車のように持ち上がる驚異のキープ力も併せ持ちます

23/24シーズンは、主に1トップで起用されながら、そのスピードを活かすために手薄な左ウィングで起用されることもありました。
シーズン当初、大きな活躍が期待されるNkunku(エンクンク)が長期離脱し、Broja(ブロヤ)も長期離脱からの復帰待ちという状況で、Jacksonには大きなプレッシャーがかかっていたことは間違いありません。
実際、ゴール前で一対一の状況を作りながら、シュートを打てばキーパーの正面に飛び、ラストパスを出そうとすれば相手にカットされるという場面が多くありました。
Jacksonはリーグ戦で35試合14ゴール5アシスト、カップ戦で9試合3ゴール1アシストを記録しており、加入初年度の若いストライカーとしては余りに十分すぎる成績を残しています
それでも、「ゴール期待値を見ればもっとゴールが取れたはずだ」という報道の方が先行しており、大事な場面を決めてくれるストライカーという評価には達していません。

そして24/25シーズン、チェルシーは夏の移籍期間中にストライカーの補強に積極的に動き、移籍期間終盤にはOshimhen(オシムヘン)をターゲットに絞って粘り強く交渉するも、獲得には至りませんでした。
Nkunkuは本来セカンドストライカー的なポジションに向いており、純粋なストライカーはJackson以外に、若手のMarc Guiu(マルク・ギウ)やOmari Kellyman(オマリ・ケリーマン)がいるのみという状況でシーズンが始まりました。
開幕戦のシティ戦こそ決定的な場面を決められず敗戦したものの、ウルブス戦で1ゴール1アシスト、クリスタルパレス戦で先制ゴール、ウェストハム戦で2ゴール1アシストを決め、Nkunkuを押しのけてレギュラーの座を掴んでおり、ファンの心配をよそに、ゴール量産体制に入っています
特にウェストハム戦での2ゴールは、これまで苦戦したキーパーとの1対1を決めています。
更に既に3アシストを決めており、ビジャレアル時代の持ち味の一つとされていたゴール前でのラストパスの判断も戻ってきているように感じます
冬の移籍期間にストライカー補強に動く可能性もありますが、今シーズンのJacksonの活躍を見れば、使い続けてほしいと思ってしまうところですね。

2024年9月13日、チェルシーはJacksonとの契約を2年延長し、2033年6月までを契約期間とする新契約を締結しました。
既存の主力選手の契約延長は8月のPalmerに続いて二人目で、週給も増額されたのではないかと予想できます

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1位 Cole Palmer(32ゴール)

言うまでもないですが、1位は2023年夏に加入したCole Palmer(コール・パーマー)です。
2002年5月6日生まれで、イングランドのウィゼンシャー出身のMFです。

2009年、7歳の頃からマンチェスターシティのユースチームに在籍し、2020年9月にトップチームデビューを果たしました。
マンチェスターシティでは41試合に出場しており、期待の若手という位置付けでしたが、2023/24シーズン、本人は出場機会を求めてローン移籍を希望するも、チームからは「残留か売却だ」と言われ、チェルシー移籍を決意。
移籍金は4,000万ポンドに250万ポンドのアドオンが付帯されていると報道されています。

2023年10月7日、アウェイのバーンリー戦でPKにより初ゴールを獲得し、その後はPKキッカーを務めています
11月13日には、古巣のマンチェスターシティ戦で後半ロスタイムにPKにより同点ゴールを獲得しました。
Palmerの23/24シーズンを語る上で欠かせないのは2024年4月4月、プレミアリーグ第31節のマンチェスターユナイテッド戦、後半ロスタイムにPKで同点ゴールを決めると、その1分後にコーナーキックから逆転ゴールを決め、チームは4-3という超劇的な勝利を果たしました

何度見てもたまらない、最高の勝利です。
Palmerはこの試合で、キャリア初のハットトリックを達成しました
それで終わらないのがPalmerです。
4月16日のエヴァートン戦では4ゴールを決め、4ゴールは2010年のLampard以来の記録となりました。更に、ホームで2試合連続のハットトリックを決めたのは同じく2010年のDrogba以来。そして、Stamford Bridge(スタンフォード・ブリッジ)でリーグ7試合連続ゴールを決めたのはクラブ史上初の快挙となりました
Palmerは最終的に、リーグ戦33試合22ゴール11アシスト、カップ戦12試合3ゴール4アシストと大暴れで、PFA年間最優秀若手選手賞を受賞し、プレミアリーグ年間最優秀選手とFWA年間最優秀選手賞にもノミネートされました。

2023年11月17日にはイングランドフル代表デビューを飾り、EURO2024では決勝戦のスペイン戦で同点ゴールを決めるなど活躍しました。

クラブは2024年8月、Palmerとの契約を2年延長し、契約期間を2033年6月までとする新契約を締結しました。
これに伴って、大幅に週給を増額させたとする報道もあります

24/25シーズン、PochettinoからMaresca体制に代わり、これまで右ウィングで起用されていたPalmerは中央で起用され、右ウィングにはMaduekeが起用されるようになりました。
今シーズンはゴールよりもアシストが増えるかもしれないと思っていた矢先、9月29日のブライトン戦で前半だけで4ゴールを決めるというプレミアリーグ史上初の記録を打ち立てました
現在リーグ戦6試合で6ゴールを決めており、得点ランク2位に位置しています。

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まとめ

チェルシー在籍時における通算ゴール数トップ10をご紹介してきました。
ざっくりまとめると、次のとおりです。

まとめ
  • クラブの最多得点記録を持つLampardのゴール数は211。圧倒的すぎる。
  • 近年チェルシーの陣容は大きく入れ替わり、在籍選手の通算ゴール数は寂しいものの、これからたくさんのゴールが積み重ねられるはず。
  • PalmerやJacksonが長くチェルシーに在籍すればトップ10入りも夢ではない。レジェンドへ。

苦しいシーズンを乗り切り、Maresca(マレスカ)体制は好調な滑り出しを見せています。
いよいよという雰囲気の出てきたチェルシーです。
これから新しい時代を切り拓いていく選手たちの勇姿を、一緒に見守りましょう。

Come on Chelsea!!!!!!

チェルシー特集!
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