※2024年10月1日、記事を更新しました。
1928年のイングランドリーグ、アーセナル対チェルシー戦でサッカー史上初めて背番号をつけたユニフォームで試合が行われました。
1933年にFAカップ決勝で久しぶりに背番号付きユニフォームが使用され、以降FAカップでは背番号制度が確立しました。
1939年にはイングランドリーグでも背番号制度が導入されましたが、当時は1番から11番をポジションに応じて着用するものでした。
1993-94シーズンにプレミアリーグが設立された際に、現在の固定番号制が採用されました。
背番号には歴史があり、ファンの記憶に残り続けるものです。
この記事では、ロンドンのビッグクラブであるChelsea(チェルシー)の背番号「7」を歴代背負ってきた選手たちをご紹介します。
なお、背番号「9」の歴代選手はこちらの記事でまとめていますので、ぜひご覧ください。
背番号7の歴代選手紹介
チェルシーで背番号7を背負ってきた歴代選手を紹介します。
John Spencer (1993-1997)
John Spencer(ジョン・スペンサー)は、チェルシーで初めて背番号7を正式に着用した選手です。
1970年9月11日生まれのFWで、スコットランドのグラスゴー出身です。
1992年7月にレンジャーズから45万ポンドの移籍金で加入しました。
93/94シーズンから固定番号制が採用され、チェルシーで最初に背番号7を着用し、以降退団するまで背番号7を背負うこととなります。
チェルシーでは4年半の在籍期間中に通算126試合に出場し、40ゴール10アシストを記録。キャリアハイの成績を残しました。
1997年1月にQPRへフリー移籍しました。
Bernard Lambourde (1997-1998)
Bernard Lambourde(ベルナール・ランボルド)は、1971年5月11日生まれのDFで、グアドループのポワンタピートル出身です。
1997年7月にボルドーからチェルシーに移籍し、加入して最初のシーズンに背番号7を着用し、その後の在籍期間は背番号21を着用しました。
2001年7月にフランスのSCバスティアに37万ユーロで移籍しました。
チェルシーでは、在籍4年間で通算60試合に出場して3ゴール1アシストを記録し、チャンピオンズリーグにも出場するなど、キャリアハイの成績を残しました。
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Luca Percassi (1998-1999)
Luca Percassi(ルカ・ペルカッシ)は、1980年8月25日生まれのDFで、イタリアのミラノ出身です。
1998年7月、17歳の時にアタランタの下部組織から加入し、主にチェルシーのU-21チームで試合に出場していましたが、トップチームの試合にはなかなか出られず、2試合の出場に終わりました。
このトップチームの試合出場時に、背番号30や背番号7を着用しました。
その後は、フリーでACモンツァに移籍しました。
Brian Laudrup (1998-1999)
Brian Laudrup(ブライアン・ラウドルップ)は、1969年2月22日生まれのFWで、デンマークのウィーン出身です。
スコットランドのレンジャーズから1998年7月にフリー加入しました。
選手をローテーション制にするという方針を知り、契約解除を求めたものの認められずにチェルシーに在籍することとなります。
1998年11月にコペンハーゲンへ移籍金110万ユーロで移籍しました。
この在籍期間中は背番号7を着用しており、通算11試合で1ゴールを記録しました。
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Bjarne Goldbaek (1998-1999)
Bjarne Goldbaek(ビョルン・ゴルドバエク)は、1968年10月6日生まれのMFで、デンマークのコペンハーゲン出身です。
1998年11月にコペンハーゲンから移籍金50万ユーロで加入し、2000年1月にフラムへ移籍金97.5万ユーロで移籍しました。
加入時は12番を着用しましたが、Laudrup(ラウドルップ)が移籍したことによりシーズン途中から背番号7に変更され、Deschamps(デシャン)の加入により1999/2000シーズンは再び12番を着用しました。
チェルシーでは通算39試合に出場し、5ゴール3アシストというものでした。
Didier Deschamps (1999-2000)
Didier Deschamps(ディディエ・デシャン)は、1968年10月15日生まれのボランチの選手で、フランスのバイヨンヌ出身です。
1999年7月にユヴェントスから移籍金200万ユーロで獲得。
マルセイユ在籍時には2度の国内リーグ優勝、欧州チャンピオンズカップを優勝し、ユヴェントスでは3度のリーグ優勝、チャンピオンズリーグ制覇を達成し、更には地元開催の1998年フランスワールドカップを優勝するなど輝かしい戦績があるDeschampsです。
31歳で移籍したチェルシーでは1年間のみの在籍となり、通算47試合1ゴール1アシストという内容でした。
翌シーズンにはバレンシアに移籍し、現役を引退した後は、モナコ、ユヴェントス、マルセイユの監督を経て、2012年から現在までフランス代表監督を務めています。
2018年ワールドカップではフランスを1998年以来の優勝に導いています。
Winston Bogarde (2000-2003)
Winston Bogarde(ウィンストン・ボハルデ)は、1970年10月22日生まれのDFで、オランダのロッテルダム出身の選手です。
2000年7月にバルセロナからフリー加入しました。
しかし加入して数週間後に監督がClaudio Ranieri(クラウディオ・ラニエリ)に交代し、Bogarde(ボハルデ)は構想外となってしまいます。
週休7万ポンドの4年契約という好条件で契約しており、なかなか同等の条件での移籍先が見つからず、Bogardeはチェルシーに在籍して契約を全うするという道を選択しました。
チェルシーは移籍を促すためにBogardeをリザーブやユースチームで練習させるなどしましたが、Bogardeは結局4年契約を全うすることとなり、チェルシーを2004年7月に退団。その後は移籍先が見つからず、2005年11月に現役を引退しました。
この間の出場試合はわずか12試合でした。
Scott Parker (2004)
Scott Parker(スコット・パーカー)は、1980年10月13日生まれのMF(センターハーフ)で、ロンドンのランベス区出身です。
2004年1月、シーズン途中にチャールトンから移籍金1,000万ポンドで加入しました。
加入時は背番号19を着用し、途中から背番号7を着用しますが、04/05シーズンには再び背番号19を着用しました。
Makelele(マケレレ)やLampard(ランパード)の代わりを務められる選手として期待されましたが、得意なポジションで起用してもらえず、2005年7月に650万ポンドでニューカッスルへ移籍しました。
チェルシーでは通算28試合1ゴール2アシストという内容でした。
近年では、フラムやボーンマスで監督を務めています。
Adrian Mutu (2004)
Adrian Mutu(アドリアン・ムトゥ)は、1979年1月8日生まれのFWで、ルーマニアのカリテシュティ出身です。
2003年8月にパルマから1,900万ユーロで加入しました。
この年にルーマニア最優秀選手に選ばれるなど活躍しましたが、2004年10月にドーピング検査で引っ掛かり、7か月のプロ公式戦出場資格のはく奪となったことにより、すぐにチェルシーを解雇されました。
チェルシーでは通算38試合ながら10ゴール6アシストとまずまずの成績を残していただけに、悔やまれる結果となりました。
その後、フィオレンティーナなどで多くのゴールを獲得したことは記憶に新しいですね。
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Maniche (2005-2006)
Maniche(マニシェ)は、1977年11月11日生まれのMFで、ポルトガルのリスボン出身です。
2002年にJosé Mourinho(ジョゼ・モウリーニョ)が監督を務めていたFCポルトに移籍し、中心選手としてチャンピオンズリーグ制覇などを経験しました。
Mourinhoがチームを去ってから低迷し始めていたポルトを2005年に退団し、鳴り物入りでロシアのディナモ・モスクワに移籍するも、活躍できずにいました。
すると、2006年1月に恩師Mourinhoが監督を務めていたチェルシーにローン移籍しました。
背番号7を託されて期待されたManicheですが、存在感を示すことはできず、チェルシーが買取オプションを行使しなかったことで半年で退団しました。
チェルシーでは通算11試合の出場に終わりました。
Andriy Shevchenko (2006-2008,2009-2010)
Andriy Shevchenko(アンドリー・シェフチェンコ)は、1976年9月29日生まれのFWで、ウクライナのキーウ州出身です。
ACミランに長く在籍し、2004年にバロンドールを受賞するなどレジェンド級の活躍をした選手です。
2005-06シーズン終了後、ミランを退団し、プレミアリーグに移籍することを表明し、2006年5月、4,500万ユーロの移籍金でチェルシーへ移籍しました。
しかし、プレミアリーグのサッカーやチームの戦術に馴染めず、2008年8月にACミランにローン移籍する形で復帰することとなります。
それでもACミランでは0得点に終わり、一度はチェルシーにレンタルバックして開幕戦を迎えるも、2009年8月に古巣のディナモ・キエフへフリーで移籍しました。
チェルシーでは通算77試合に出場し、22ゴール12アシストを記録しました。
移籍金を考えれば当然物足りない成績ですが、ここまで背番号7を背負ってきた選手の成績を見れば、まずまず活躍した選手とも言えます。
Ramires (2010-2016)
Ramires(ラミレス)は、1987年3月24日生まれのMFで、ブラジルのバラ・ド・ピライ出身です。
初めて5年以上背番号7を着用した選手で、豊富な運動量を活かし、ボックストゥボックスタイプの選手として活躍しました。
2010年8月、ベンフィカから移籍金2,200万ユーロで加入しました。
2011-12シーズンにはFAカップと、チームとして初めてチャンピオンズリーグを制覇しました。
このチャンピオンズリーグの準決勝でバルセロナと対戦したチェルシーは、1stレグで1-0と勝利し、2ndレグを守りを固めにいきましたが、前半で2失点し、更にはJohn Terry(ジョン・テリー)が退場するという絶体絶命の状況でした。
しかし前半のアディショナルタイム、Lampard(ランパード)のパスに反応したRamiresがチームにとっても数少ないチャンスという場面で、チップキックという選択。相手GKのVictor Valdes(ビクトル・バルデス)は虚を突かれて、ボールは美しい放物線を描き、ゴールへ吸い込まれました。当時はアウェイゴールを採用していたので、この時点でチェルシーは合計スコアをリードすることとなりました。
バルセロナの猛攻を防ぎ続け、チェルシーは92分にFernando Torres(フェルナンド・トーレス)が独走ゴールを決めて2-2で試合を終え、合計スコアでバルセロナに勝利し、決勝へと駒を進めることになりました。
チェルシーのサポーターにとって、このRamiresとTorresのゴールは、最も印象的なゴールの一つと言えるでしょう。
その後のクラブワールドカップ決勝に先発出場しましたが惜しくも敗れて、クラブ世界一とはなりませんでした。
2012-2013シーズンにはヨーロッパリーグ、2014-15シーズンにはプレミアリーグとフットボールリーグカップを制し、在籍期間中にクラブに5つのタイトルをもたらしました。
チェルシーでは通算251試合に出場し、34ゴール25アシストを記録しました。そのうちチャンピオンズリーグでは45試合に出場して7ゴール3アシストと大舞台でも活躍しました。
また主にチェルシー在籍時にブラジル代表として52試合に出場し、2010年や2014年にワールドカップメンバーに選出されました。
2016年1月、29歳の時に惜しまれる形で、移籍金2,200万ユーロにより中国の江蘇足球へ移籍しました。
これは当時、中国スーパーリーグとしては史上最高額となる移籍金でした。
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N’Golo Kanté (2016-2023)
N’Golo Kanté(エンゴロ・カンテ)は、1991年3月29日生まれのMFで、フランスのパリ出身です。
固定番号制が採用されて以降、チェルシーで最も長く背番号7を着用した選手です。
Kanteはフランスのクラブでデビューしたあと、2015年8月にレスターへ移籍金800万ユーロで移籍。
その年のレスターのプレミアリーグ初優勝に大きく貢献し、プレミアリーグの年間ベストイレブンに選ばれました。
そして2016年7月、チェルシーに移籍金3,200万ポンドで加入し、Remiresが移籍して空き番となっていた背番号7を着用しました。
チームは、Antonio Conte(アントニオ・コンテ)が新監督に就任したシーズンでした。
移籍して最初のシーズンから大活躍し、チェルシーの2年ぶりとなるリーグ優勝に大きく貢献しました。
そして自身としては2年連続となるプレミアリーグ年間ベストイレブンに選ばれたほか、PFAの年間最優秀選手賞、FWA年間最優秀選手賞をダブル受賞しました。
2017/18シーズンは、チームはFAカップを優勝したものの、リーグではCL圏外の5位に終わり、Antonio Conteが解任されました。
それでもKanteは通算48試合に出場しました。
2018年6月に開催されたロシアワールドカップでは全試合に出場し、インターセプトの回数などで1位になるなど、フランスのワールドカップ優勝に大きく貢献しました。
2018/19シーズンは、ナポリのMaurizio Sarri(マウリツィオ・サッリ)が監督に就任しました。
アンカーのポジションには長短のパスを出せるJorginho(ジョルジーニョ)が起用され、KanteはKovacic(コヴァチッチ)らと1列前で起用されました。
不慣れなポジションながら相変わらずの活躍を見せ、ヨーロッパリーグ優勝に貢献しました。
2020/21シーズンは、チームのチャンピオンズリーグ優勝に大きく貢献しました。
レアルマドリードとの準決勝2試合と、決勝の3試合連続でMOMに選ばれ、2021年のバロンドール投票で5位になりました。
更に翌シーズンにはクラブワールドカップ優勝を勝ち取りました。
2022-23シーズンは、第2節のトッテナム戦でハムストリングを負傷し、カタールワールドカップを欠場しました。
この年はわずか9試合の出場に終わり、シーズン終了後、契約満了に伴ってサウジアラビアのアル・イテハドにフリー移籍しました。
Kanteは身長168cmと小柄ながら、圧倒的な運動量を見せ、試合終了後もケロッとした顔を見せるほどのスタミナを持っています。
更にボール奪取能力に優れ、予測や距離を詰めるタイミングなどが絶妙な刈り取りマシーンです。
世界最高峰の選手でありながら、驕りがなく、とてもシャイな性格で、自分から優勝トロフィーを触りにいけなかったり、大衆車のミニクーパーに乗り続けていたり、高級なブランドの服ではなくいつもジャージを着用していたりと、とても可愛らしいエピソードが多く、皆に愛されている選手です。
Raheem Sterling (2023)
Raheem Sterling(ラヒーム・スターリング)は、1994年12月8日生まれのウィングで、ジャマイカのキングストン出身ですが、イングランド代表としてプレーしています。
SterlingはQPRの下部組織からリヴァプールの下部組織へ移籍し、リヴァプールでトップチームデビューを果たしています。
17歳でデビューし、リヴァプールでスタメンを確保し、若いうちから多くの試合に出場しました。
2014/15シーズン後に契約延長オファーを拒否してマンチェスターシティへ移籍し、以降2021/22シーズンまでで通算340試合に出場し、132ゴールと大活躍しました。
そして2022年7月に、チェルシーへ電撃移籍しました。移籍金は4,750万ポンドだったと公表されています。
移籍後最初の1か月で5試合3ゴール1アシストと、順調な活躍を見せますが、チームは不調に陥り、通算で43試合9ゴールに終わり、持ち前のスピードを活かしたドリブル突破もなかなか見られず、移籍金に見合わないと批判されることも多くありました。
それでも、チャンピオンズリーグの決勝トーナメントのドルトムント戦で、合計スコアで追いつく貴重なゴールを記録するなど、印象的なゴールもありました。
2023/24シーズンはKanteの移籍に伴い、Sterlingが背番号7を引き継ぎました。
シーズン当初は懐疑的な意見もありましたが、43試合に出場し10ゴール8アシストを記録しました。
スピードを活かしたドリブルや、細かいタッチで相手をかわしてPA内に侵入してラストパスを出すなど、ノリ出すと止められない勢いがありました。
しかし好不調の波が激しく、ドリブル突破できずにボールを奪われ続けることが増えると、途中出場でも守備をしないプレースタイルもあって、批判が相次ぎました。
そして2024/25シーズンにMaresca(マレスカ)が新監督に就任すると、プレシーズンこそ出番はありましたが、シーズン開幕前に戦力として考えていないことを通告され、クラブも背番号7を新加入のPedro Neto(ペドロ・ネト)に着用させることを発表しました。
更にその後、Sterlingはアーセナルにローン移籍することが発表されました。
Pedro Neto (2024-)
Pedro Neto(ペドロ・ネト)は、2000年3月9日生まれのウィングで、ポルトガルのヴィアナ・ド・カステロ出身です。
母国ブラガの下部組織出身で、そのままトップチームデビューし、2019年夏にウルブスに1,790万ユーロで完全移籍しています。
ウルブスでは通算135試合に出場し、14ゴール24アシストを記録しています。
移籍当初こそ順調に活躍を続けていましたが、2021年4月に膝を負傷して離脱して以降、毎シーズン中長期で離脱することが増えてきています。
それでも出場すれば、正確なボールでアシストを量産しており、2020年にはポルトガルフル代表デビューを飾っています。
そして2024年8月、移籍金6,000万ユーロと300万ユーロとのアドオンでチェルシーに加入しました。
加入当初こそ背番号19を背負いましたが、Sterlingが戦力外となったことで、すぐに背番号7に変更されました。
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まとめ
チェルシーの背番号「7」を背負ってきた歴代選手を紹介してきました。
ざっくりまとめると、次のとおりです。
- 他クラブで活躍しながら、チェルシーでは意外と活躍できていない印象の強かった背番号「7」。近年のRamiresとKanteの活躍によって偉大な背番号となりつつあります。
- 最も背番号「7」を着用した期間が長いのがKante。その性格から、多くのサポーターに愛されている選手です。
- 2024年現在、背番号7を着用しているのはNeto。背番号7のイメージを塗り替えるほどの活躍を期待したいですね。
ウルブス戦で同郷のFelixに早速アシストを記録したNeto。
怪我無く出場してくれれば、探し求めていた左ウィングの絶対的レギュラーとなることは間違いありません。
期待しましょう!!
London is Blue!!!