チェルシーの背番号「8」歴代選手まとめ

1928年のイングランドリーグ、アーセナル対チェルシー戦でサッカー史上初めて背番号をつけたユニフォームで試合が行われました。
1933年にFAカップ決勝で久しぶりに背番号付きユニフォームが使用され、以降FAカップでは背番号制度が確立しました。
1939年にはイングランドリーグでも背番号制度が導入されましたが、当時は1番から11番をポジションに応じて着用するものでした。

1993-94シーズンにプレミアリーグが設立された際に、現在の固定番号制が採用されました

背番号には歴史があり、ファンの記憶に残り続けるものです。
この記事では、ロンドンのビッグクラブであるChelsea(チェルシー)の背番号「8」を歴代背負ってきた選手たちをご紹介します

なお、背番号「7」の歴代選手はこちらの記事でまとめていますので、ぜひご覧ください。

目次

チェルシーの背番号8歴代選手

チェルシーで背番号8を背負ってきた歴代選手を紹介します。

Damian Matthew (1993-1994)

Damian Matthew(ダミアン・マシュー)は、チェルシーで初めて背番号8を正式に着用した選手です
1970年9月23日生まれのセントラルミッドフィルダーで、ロンドンのイズリントン出身です。

1989年に、チェルシーの下部組織からトップチームに昇格した選手です。
93/94シーズンから固定番号制が採用され、チェルシーで最初に背番号8を着用したものの、出場機会は限られており、そのシーズンを最後にクリスタルパレスへ移籍し、その後1999年に引退しました。
チェルシーでの在籍期間中わずか25試合の出場に留まり、2アシストを記録しました。

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Paul Furlong (1994-1995)

Paul Furlong(ポール・ファーロング)は、1968年10月1日生まれのセンターフォワードで、ロンドンのウッドグリーン出身です。
1986年に下部リーグのエンフィールドというクラブでプロキャリアをスタートし、その後コベントリーシティ、ワトフォードと渡り歩き、1994年、230万ポンドという当時記録的な移籍金でチェルシーへ移籍し、背番号8を背負いました
1994/95シーズンこそレギュラーとして出場しましたが、翌95/96シーズンにMark Hughes(マーク・ヒューズ)が加入すると、背番号は14に変更され、自身の出場機会も減少したため、シーズン終了後に移籍金150万ポンドでバーミンガムシティに移籍しました。

わずか2年の在籍ではありましたが、82試合に出場し、17ゴール3アシストを記録しました。

Mark Hughes (1995-1996)

Mark Hughes(マーク・ヒューズ)は、1963年11月1日生まれのセンターフォワードで、ウェールズのレクサム出身です。
1995年に、マンチェスターユナイテッドからチェルシーに移籍しました。
チェルシーはHughesが少年期からファンだったチームで、念願の移籍となりました
入団当時は8番を背負い、Gavin Peacock(ギャビン・ピーコック)が退団した後に10番を背負いました。

チェルシーのレジェンドであるGianfranco Zola(ジャンフランコ・ゾラ)と絶妙なコンビネーションを見せました。
1997年にはFAカップを27年ぶりに優勝、1998年にはUEFAカップウイナーズカップ優勝に貢献しました。
1995年から1998年までチェルシーに在籍し、95試合出場、25得点でした
その後はサウサンプトン、エヴァートン、ブラックバーンと移籍し、2002年38歳で現役を引退しました。

ウェールズ代表としても活躍したHughesは、1999年からウェールズ代表監督と選手を兼任しています
2002年に選手を引退後も、引き続き代表監督を務めました。
その後はブラックバーン、マンチェスターシティ、フラム、QPR、ストーク、サウサンプトンで監督を務めてきました。
2018年にサウサンプトンの監督を解任されてからは現場を退いていましたが、2022年からイングランド4部のブラッドフォードシティで監督を務めています。

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Andy Myers (1996-1997)

Andy Myers(アンディ・マイヤーズ)は、1973年11月3日生まれの左サイドバックで、ウェストロンドンのハウンズロー出身です。
チェルシーの下部組織出身で、1990/91シーズンにトップチームデビューを果たし、そのシーズンにクラブの年間最優秀若手選手に選出されています

しかし、ケガに悩まされてレギュラーとして活躍することはできませんでした。
背番号は、固定番号制になってからも3、8、15、18、19といろいろな背番号を着用しました。
背番号8は、1996/97シーズンの1年間のみ着用しました。

1999年7月に、当時プレミアリーグに所属していたブラッドフォードシティに移籍金80万ポンドで移籍しました。
チェルシーには約8年間在籍し、103試合で2ゴール2アシストを記録しました。

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Gustavo Poyet (1997-2001)

Gustavo Poyet(グスタボ・ポジェ)は、1967年11月15日生まれの攻撃的ミッドフィルダーで、ウルグアイのモンテビデオ出身です。
当時フランスの2部リーグに所属していたグルノーブルや、ウルグアイのクラブ・アトレティコ・リーベル・プレートでプレーした後、1990/91シーズンにレアル・サラゴサに移籍しました。
1995年には、UEFAカップウィナーズカップの決勝でアーセナルを破り、優勝を果たしています
レアル・サラゴサでは236試合に出場し、60ゴール2アシストと約7年間の在籍でしっかり結果を残しました。

1997年6月、レアル・サラゴサとの契約が満了してチェルシーに移籍し、在籍した間、背番号8を着用しました。
移籍1年目、十字靭帯断裂によりシーズン序盤を棒に振りましたが、UEFAカップウィナーズカップ決勝のシュトゥットガルト戦に出場し、サラゴサ時代に続いてこのタイトルを獲得し、更に翌年のUEFAスーパーカップでレアル・マドリード相手に決勝点を決める活躍を見せました



1998/99シーズンはチーム2位の14ゴールを決めて、チームのリーグ3位に大きく貢献しました。

1999/00シーズン、リーグでは33試合出場のフル稼働で10ゴール1アシストを記録し、FAカップでは6試合6ゴールの活躍で優勝に大きく貢献、UEFAチャンピオンズリーグではベスト8まで進むなど、チーム躍進の一員になりました。

2000/01シーズンからClaudio Ranieri(クラウディオ・ラニエリ)が監督になるとチームは若返りを推進することとなり、既に33歳となっていたPoyetの出場機会は減少し、自身も移籍を志願しました。
2001年5月に約220万ポンドの移籍金でトッテナムに移籍しました。

チェルシーでの約4年間の在籍期間で144試合に出場し、49ゴール16アシストを記録しました

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Frank Lampard (2001-2014)

チェルシーのレジェンドと聞いて、Frank Lampard(フランク・ランパード)の名を思い浮かべない人はいないでしょう
1978年6月20日生まれのミッドフィルダーで、ロンドンのヘイヴァリング区出身です。

ゴールに一番近いポジションである「ストライカー」がこれまで名を連ねてきた中で、Lampardは豊富な運動量を活かした「ボックストゥボックス型」の選手で、セントラルミッドフィルダーや2ボランチの一角としてプレーしながら、そのIQの高さから、エリア内でスペースを見つけてゴールを決めるという比類なき能力の持ち主でした

父もサッカー選手で、ウェストハムで500試合以上に出場したレジェンド選手です。
彼はウェストハムの下部組織でキャリアをスタートし、1995/96シーズンにプロデビューを果たします。
ウェストハムで徐々に頭角を現していましたが、当時彼の伯父が監督、同じく父親がコーチを務めており、自身の調子が悪い時には痛烈に批判を浴びていました。
なかなかファンから愛されることができず、伯父が不明確な理由でクラブから解雇されたことをきっかけに、2001年夏、移籍金1100万ポンドでチェルシーへ移籍します



彼はPoyetとの入れ替わりで加入し、すぐに背番号「8」を背負い、退団までその背番号を背負うこととなります
加入してすぐは、Jimmy Floyd Hasselbaink(ジミー・フロイド・ハッセルバインク)やEmmanuel Petit(エマニュエル・プティ)などの大物選手たちとプレーし、緩やかなスタートを切ります。
それでもコンスタントに試合に出場し、2005年12月にウィルス性疾患で欠場するまで、プレミアリーグ164試合連続出場という、フィールドプレイヤーとしては新記録を打ち立てました

2004年にMourinho(モウリーニョ)が監督に就任すると、国内選手にチームを引っ張ってほしいという方針から、John Terry(ジョン・テリー)がチームキャプテン、Lampardが副キャプテンを任せられ、1954/55シーズン以来、50年ぶりとなるトップリーグ優勝を果たしました
2005年には、プレミアリーグ創設以降2クラブ目となるリーグ2連覇を達成し、バロンドールとFIFA最優秀選手賞の両部門で、ロナウジーニョに次ぐ2位の得票数を獲得しました。



2008年5月21日、UEFAチャンピオンズリーグ決勝でマンチェスターユナイテッドと対戦し、45分にLampardが同点ゴールを決めたものの、PK戦で敗れ、初優勝を逃しました
その翌年のシーズンオフ、Mourinhoが監督を務めていたインテルに移籍する噂が流れたものの、チェルシーに残留して新たな5年契約を結び、チェルシーでキャリアを終える意向を明らかにしました

2009/10シーズン、チェルシーでのプレミアリーグ100得点を達成したほか、5年連続となるシーズン20得点を達成し、更にチームは4シーズンぶりとなるリーグ優勝を果たしました。

2012年4月9日のフラム戦で、プレミアリーグ通算150得点を記録し、これはプレミアリーグのミッドフィルダーとして史上初の記録となりました

2012年4月24日、チャンピオンズリーグ準決勝バルセロナ戦2ndレグでは、Mascherano(マスチェラーノ)のプレスを弾き飛ばしてRamires(ラミレス)に絶妙なアシストを決めて、決勝進出へ大きく貢献します。
そして2012年5月19日、チャンピオンズリーグ決勝戦では出場停止のJohn Terryに代わってキャプテンマークを巻き、PK戦の末にバイエルンミュンヘンを破って、悲願のビッグイヤーを掲げました

2013年5月11日、アストンヴィラ戦で2得点を決めて、チェルシー在籍中における最多得点記録を塗り替える203ゴールを記録しました
チェルシーで最後のゴールとなったのは、2014年4月6日、ストーク戦でPKのリバウンドを決めたゴールで、今も破られていないチェルシーでの211ゴール目となりました。

Lampardはチームで13年間を過ごし、2014年6月にチームを去る決断をしました。
2014年7月24日、アメリカのメジャーリーグサッカーに2015年から創設されるニューヨーク・シティへの加入が発表されました。
メジャーリーグサッカーが開幕するまでの間、プレミアリーグのマンチェスターシティにレンタル移籍することが発表され、チェルシー戦では貴重な同点ゴールを決めるという場面もありましたが、喜びの表情は見せませんでした。

シティのPellegrini(ペレグリーニ)監督の希望により、結局は2014/15シーズン終了までシティでプレーし、2015年夏からニューヨーク・シティでプレーしました。
2015年と2016年のシーズンをニューヨークシティで過ごし、チームを退団。
2017年2月に、自身のFacebookで現役を引退することを発表しました

指導者としても、チェルシーで2度監督を経験しましたが、ここでのご紹介は割愛させていただきます。

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Oscar (2014-2016)

Oscar(オスカル)は、1991年9月9日生まれの攻撃的ミッドフィルダーで、ブラジルのサンパウロ州アメリカーナ出身です。
1998年、7歳のときにサンパウロ州に本拠地を置くウニオン・バルバレンセのユースチームに加入しました。
2004年、13歳の時に超名門サンパウロFCのユースチームに移籍し、2008年8月、17歳でプロデビューを果たしました。
Oscarはサンパウロと契約上の紛争があり、SCインテルナシオナルに移籍しました。
SCインテルナシオナルには2010年から2012年まで在籍し、70試合出場で19ゴール22アシストを記録しました



2012年7月25日、チェルシーはOscarの獲得を発表しました。
6月にDrogba(ドログバ)が上海申花に移籍し、Oscar(オスカル)は空き番となっていた「11番」を着用しました
移籍金はさまざまな報道があり、1900万ポンドや2500万ポンドなどと報道されています。
リーグ開幕戦となる8月19日のウィガン戦で、同じく移籍後デビューを飾ったEden Hazard(エデン・アザール)と交代出場し、チェルシーデビューを果たしました。
9月19日、チャンピオンズリーグのグループリーグ初戦となるユヴェントス戦で初スタメン出場し、移籍後初ゴールを含む2ゴールを獲得しました
このシーズン、チェルシーはチャンピオンズリーグをグループリーグで敗退した後、ヨーロッパリーグで優勝を果たしています。
プレミアリーグ、チャンピオンズリーグ、ヨーロッパリーグ、FAカップ、EFLカップ、クラブワールドカップ、UEFAスーパーカップといった多くのコンペティションに出場したチェルシーで、Oscarは64試合に出場し、12ゴール9アシストとフル稼働しました

13/14シーズン、José Mourinho(ジョゼ・モウリーニョ)の第二次政権が始まりました。
2014年3月22日のアーセナル戦で、チェルシーは6-0の勝利となり、Oscarは4点目と5点目を決めました
この試合は、ベンゲル監督のアーセナルでの1000試合目となる節目の試合でした。

チームは3位でフィニッシュし、Oscarは47試合11ゴール7アシストを記録しました。

14/15シーズン、Drogba(ドログバ)が復帰することとなり背番号11もDrogbaのもとに戻りました。
6月にLampardが退団し、空き番となっていた背番号8をOscar(オスカル)が着用することが発表されました
11月には新契約にサインし、18/19シーズンまでチームとの契約が延長されました。
Oscarは41試合出場7ゴール8アシストと例年よりはペースを落としながら、安定した成績を残し、チームは勝ち点87で2009/10シーズン以来のリーグ優勝を果たしました

リーグ2連覇が期待された15/16シーズンは大失速し、12月にJosé Mourinho監督が解任されました。
José Mourinho監督の人気は高く、彼が解任となったのは不調だったDiego Costa(ディエゴ・コスタ)、Cesc Fàbregas(セスク・ファブレガス)、Oscarの3人のせいだという批判もありました。
2008/09シーズン以来、「二度目の暫定監督」という立場でGuus Hiddink(フース・ヒディンク)監督が就任しました。
このシーズン、チームは最終的に10位でフィニッシュしながらもOscarは40試合に出場し、8ゴール5アシストを記録しました。

16/17シーズンからは、ユヴェントスやイタリア代表で結果を残したAntonio Conte(アントニオ・コンテ)が監督に就任しました。
序盤戦こそ苦戦して解任論も出ていましたが、途中から3バックを導入し、クラブ新記録となる13連勝を記録するなどし、2年ぶりのリーグ優勝を果たしました。
Oscarは、10月26日のウェストハム戦でチェルシーでの200試合出場を果たしたものの、出場機会は減少傾向にありました。
シーズン途中の2016年12月23日、中国スーパーリーグの上海上港と合意し、1月に移籍しました。
その移籍金は6000万ポンドと報じられています
チェルシーでの通算記録は、203試合38ゴール31アシストでした

33歳となった今も同じクラブに所属しており、チェルシーでの出場試合数を超える、240試合に出場しています。
2023年3月には「チェルシーに戻るのは夢だ」とtalkSPORTに話すなど、キャリアのほとんどを過ごしたチェルシーと上海上港へのクラブ愛を語っています。

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Ross Barkley (2018-2021)

Ross Barkley(ロス・バークリー)は、1993年12月5日生まれのミッドフィルダーで、リヴァプール出身です。
11歳の時にエヴァートンのユースチームに加入し、2010年、わずか16歳でのトップチームデビューが期待されていましたが、チームメイトとの衝突により骨折し、持ち越しとなりました。
2012年9月22日、ローン移籍先のシェフィールド・ウェンズデイで、チャンピオンシップデビュー、プロデビューを果たしました。
リーズへのローン移籍も経て、2013/14シーズンからエヴァートンに戻ると、2013年8月17日のリーグ開幕戦となるノリッジ戦でプレミアリーグデビューを果たし、更にクラブでの初ゴールを決め、MOMに選出されました
エヴァートンでレギュラーの座を確立したBarkleyは、2017/18シーズン途中までの4年半で通算179試合に出場し、27ゴール25アシストと活躍しました。



2018年1月5日、チェルシーはシーズン途中にBarkleyを移籍金1500万ポンドで獲得し、背番号は約1年間空き番となっていた8を着用しました
1月24日のEFLカップ準決勝第2戦でチェルシーデビューを飾りましたが、そのシーズンは5試合の出場に終わり、ゴール、アシストはありませんでした。

18/19シーズン、新たにMaurizio Sarri(マウリツィオ・サッリ)が監督に就任すると、出場機会が増加します。
10月6日、リーグ戦第8節のサウサンプトン戦でスタメン出場すると、57分にチェルシー移籍後初ゴールを決めました
更に10月20日、第9節のマンチェスターユナイテッド戦に途中出場すると、試合終了間際に同点ゴールを決め、2-2のドローに持ち込みました

そして10月28日のバーンリー戦でゴールし、3試合連続ゴールを達成しました
ヨーロッパリーグ決勝、チェルシーがアーセナルに4-1で圧倒した試合でも、Kovacic(コヴァチッチ)の交代選手として出場しました。
充実した1年となったこのシーズン、Barkleyは48試合に出場して5ゴール6アシストを記録し、現状キャリアハイの成績となりました

2019年7月、1年間の補強禁止処分を受けていたチェルシーは、チームのレジェンドであるFrank Lampard(フランク・ランパード)が新監督に就任します。
現存選手とレンタルバック選手でシーズンを戦うことになったチェルシーですが、中盤ではMason Mount(メイソン・マウント)が台頭したことや、自身のスキャンダルもあって31試合出場と出場機会が減少したものの、5ゴール5アシストと結果は残しました。



2020/21シーズンになると、補強禁止処分が明けたチェルシーはHavertz(ハヴァーツ)、Werner(ヴェルナー)、Chilwell(チルウェル)など積極的な補強に動き、その余波もあって、Barkleyはアストンヴィラにローン移籍しました

アストンヴィラで24試合出場、3ゴール1アシストとそれなりに結果を残すと、21/22シーズンからはチェルシーに復帰しました。
この時から背番号は18を着用し、8番はチームで欠かせない存在になっていたKovacicが着用することになりました。
チェルシーに復帰したBarkleyですが、中盤のメンバーは盤石で、出場機会は限られました。
14試合出場1ゴールに終わりましたが、その唯一のゴールは2022年5月22日、リーグ最終戦のワトフォード戦での決勝ゴールでチェルシーでの通算100試合出場を達成した試合であり、更にRoman Abramovich(ロマン・アブラモヴィッチ)オーナーにとっても最後のゴールとなりました

2022年8月29日、チェルシーとBarkleyは双方合意の上で契約を解除しました。
チェルシーで通算100試合に出場し、12ゴール11アシストでした

9月4日に、フランスリーグ1のニースと契約し、28試合4ゴール2アシストとそれなりに結果を残したものの2023年6月にニースを退団しています。
2023年8月、プレミアリーグに昇格したルートンに加入すると、20節のチェルシー戦でヘディングによりゴールを決める場面もありました。

ルートンはチャンピオンシップに降格しましたが、ルートンで結果を残したBarkleyは、24/25シーズンからアストンヴィラに復帰を果たし、今もプレミアリーグで活躍を続けています。

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Mateo Kovacic (2021-2023)

Mateo Kovacic(マテオ・コヴァチッチ)は、1994年5月6日生まれのセントラルミッドフィルダーで、オーストリアのリンツ出身で、クロアチア代表としてプレーしています。
Kovacicは6歳のときにオーストリアのラスクの下部組織に加入しました。
13歳の時に、アヤックス、インテル、ユヴェントス、バイエルンミュンヘンなど複数クラブのスカウトが注目していたようですが、家族そろってクロアチアのザグレブに移住し、超名門クラブであるディナモ・ザグレブの下部組織に入団しました。
そして2010年、16歳でプロデビューを果たしました。

若いうちからレギュラーを掴み、リーグ戦に多く出場してチームは2連覇を達成し、チャンピオンズリーグでの出場機会も得ました。
2013年1月には、インテルに移籍金1500万ユーロで移籍しました
インテルでも97試合8ゴール11アシストとしっかり結果を残したKovacicですが、チームの成績は上向かず、財政状況も厳しい状況となりました。
やがてKovacicを売却せざるを得なくなり、2015年8月、レアル・マドリードに移籍金2900万ユーロで移籍しました



レアル・マドリードでは、15/16シーズンから就任したRafael Benítez(ラファエル・ベニテス)監督に重宝され、中盤の中でも中央・サイド・オフェンシブなポジションなど多様に起用されました。
しかし、2016年1月にZidane(ジダン)が監督に就任すると出場機会が減少しました。
16/17シーズンと17/18シーズンもチームに在籍しましたが、豊富な戦力の中でレギュラー奪取とはいかず、その中でもチームはチャンピオンズリーグ3連覇を達成するなど、黄金時代が訪れていました。

2018年8月、Kovacicはローン移籍によりチェルシーに加入しました
背番号は17を着用して4シーズンを過ごすこととなります
8月18日、ホームでアーセナルに3-2と勝利した試合で、60分からBarkleyと交代出場し、プレミアリーグデビューを果たしました。
メンバーを固定したいMaurizio Sarri(マウリツィオ・サッリ)監督のもと、主にヨーロッパリーグでレギュラーとして出場したため、リーグ戦での出場時間は多くはありませんでした。
スタメン出場したヨーロッパリーグ決勝ではアーセナルを4-1で破って優勝に貢献しています

この18/19シーズン、Kovacicは51試合に出場して2アシストを記録しました。

Kovacicは2019年7月1日、移籍金4500万ユーロでチェルシーへ完全移籍することとなり、5年契約を結びました。
19/20シーズンにクラブのレジェンドであるLampard(ランパード)が新監督に就任すると、Kovacicは欠かせない存在になりました。
11月27日のアウェイでのバレンシア戦では、先制点を奪われた直後に、同点ゴールとなるチェルシーでの初ゴールを決めました

Kovacic

しばらくの間、このセレブレーションを準備していたんだ。
昨シーズンはゴールがなかったからね(笑)。

このセレブレーションは、姪たちのためなんだ。
ふたりの姪がいて、ひとりはダウン症候群なんだ。

彼女たちは僕と一緒にこのポーズをよくやるんだよ。
あのセレブレーションは彼女たちのためだったんだ。
ゴールを決めて、それを家族と一緒に祝うことができるのは素敵なことさ。

彼女たちはずっと待ってくれていた。
これを続けていくことができることを願っているよ。

(チェルシー公式サイトから翻訳して引用)

更に12月7日、アウェイでのエヴァートン戦ではプレミアリーグ初ゴールを決めました
このシーズン、Kovacicは47試合に出場して2ゴール3アシストを記録し、クラブの年間最優秀選手に選出されました。

20/21シーズン、序盤はチームの調子と同様に自身も乗り切れずにいましたが、2021年1月にThomas Tuchel(トーマス・トゥヘル)が新監督に就任すると、調子を取り戻しました。
レアル・マドリード時代、3度のチャンピオンズリーグ優勝を経験していますが、決勝戦に出場したのは初めてのことでした。
チームは1-0でマンチェスターシティを破り、11/12シーズン以来、2度目の欧州制覇を果たしました。

Tuchel体制2年目となった21/22シーズン、前年にローン移籍していたBarkleyがチームに復帰したものの、チェルシーの背番号8はBarkleyではなくKovacicが着用することに決まりました
序盤こそ首位を走るも、ケガとコロナウイルスにより選手の離脱によってチームは3位でフィニッシュしました。
2022年1月2日、ホームでのリヴァプール戦では、2点ビハインドの状況で1点差に迫るゴールを決めたことがきっかけで、2-2で引き分けました。このゴールは、プレミアリーグの月間最優秀ゴールと、クラブの年間最優秀ゴールを受賞しました
FIFAクラブワールドカップ2021では、南米代表のパルメイラスを下し、初の世界一に輝きました。Kovacicはこの試合にスタメン出場し、91分までプレーしました。
Kovacicはこのシーズン44試合に出場し、2ゴール5アシストを記録しました。

22/23シーズン、チェルシーは新しいオーナーのもとシーズンを迎えることとなります。
2022年9月8日という早い段階でThomas Tuchelが解任され、Graham Potter(グラハム・ポッター)やFrank Lampardが監督を務めました。
不安定なチーム状況の中、Kovacicはチャンピオンズリーグの決勝トーナメント、ドルトムント戦のセカンドレグでキャプテンを務め、準々決勝進出に貢献しました
このシーズン、Kovacicは37試合に出場して2ゴール2アシストでした。

そして2023年6月27日、Kovacicは移籍金2500万ポンドでマンチェスターシティに移籍し、今も活躍を続けています。
チェルシーでは通算221試合に出場し、6ゴール15アシストを記録しました

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Enzo Fernández (2023-)

多くの素晴らしい選手たちが着用してきた背番号8を現在背負っているのは、Enzo Fernández(エンソ・フェルナンデス)です
2001年1月17日生まれのセントラルミッドフィルダーで、アルゼンチンのブエノスアイレス郊外のサン・マルティンに生まれました。
わずか5歳のときに、アルゼンチンの超名門クラブCAリーベルプレートのアカデミーに入団しました。
18歳の誕生日から1週間後にはトップチームのベンチ入りを果たしたものの、監督の意向でデビュー試合は慎重に判断し、2020年3月5日、19歳になってからカップ戦でトップチームデビューを飾りました。
2020年と2021年は同じリーグのデフェンサ・イ・フスティシアへのローン移籍で、Copa Sudamericana優勝を経験しています
2022年にローンバックして、リーベルプレートでも素晴らしい成績を残した後、2022年7月14日、SLベンフィカへの完全移籍を果たしました。
背番号は、クラブのレジェンドであるEusébio(エウゼビオ)と同じ13番を着用しました

ベンフィカに移籍したEnzoは2022年8月2日のチャンピオンズリーグプレーオフ3回戦でデビューを果たし、ペナルティーエリア外からのハーフボレーで早速ゴールも決めました
ポルトガルですぐに新しいチームに馴染んだEnzoは、8月、10月、11月の3度にわたってリーグの最優秀ミッドフィルダーに選出されました。
そして冬に開催されたFIFAワールドカップ2022で、レギュラーとして母国を1986年以来の優勝に導く大活躍を見せました

ワールドカップ直後の冬の移籍期間、2023年1月31日、1億680万ポンドという当時のイギリス史上最高額となる移籍金で、チェルシーへの移籍が決まりました
交渉は10時間に及び、チェルシーの共同オーナーであるBehdad Eghbali(ベフダド・エグバリ)が主導したと報道されています。
契約期間は、2031年まで有効な8年半とされています。
背番号は、Jorginho(ジョルジーニョ)が移籍したことで空き番となった「5番」を着用しました

2023年2月3日、ホームでのフラム戦で早速フル出場し、プレミアリーグデビューを果たしました。
プレミアリーグでは後半戦の18試合すべてにスタメン出場し、14試合でフル出場しました
ウェストハム戦とレスター戦でそれぞれ1アシストを記録しています。
更にチャンピオンズリーグでも決勝トーナメント4試合すべてにスタメン出場しています。



23/24シーズンは、Kovacicの移籍によって空き番となった「8番」を着用することに決まりました
Pochettino(ポチェッティーノ)が新監督に就任したものの、引き続きチームに欠かせない存在として活躍しました。
Caicedo(カイセド)の加入により、前シーズンよりはやや前でプレーしました。
2023年8月30日、カラバオカップ2回戦のAFCウィンブルドン戦で決勝点となったゴールは、チェルシー移籍後初ゴールとなりました
12月3日、プレミアリーグ14節のブライトン戦で3-2と勝利した試合では、プレミアリーグ初ゴールを含む2ゴールによりチームの勝利に大きく貢献しました。
2024年2月8日、FAカップ4回戦の再試合となったアストンヴィラ戦で、Enzoはチームの勝利を決定づける見事な直接フリーキックを決めました
当時はチームの調子が上向かず、Enzoに根も葉もない移籍の噂が報道されていた状況でした。
彼はゴール後に自身のユニフォームを掲げ、「俺はここにいる。よく覚えとけ。」とでも言うかのようなセレブレーションを見せ、サポーターの心を熱くさせました

https://twitter.com/EmiratesFACup/status/1755341139102531765

2月26日、カラバオカップ決勝では120分間フル出場しましたが、惜しくも優勝を掴めませんでした。
4月5日、マンチェスターユナイテッド相手に4-3と超劇的な勝利を収めた試合で、Palmer(パーマー)の決勝ゴールをアシストしたのはEnzoでした
4月24日のアーセナル戦を最後に、Enzoは鼠径部の手術によってチームを離脱し、シーズンを終了しました。

治療に専念したことで、Enzoはコパ・アメリカ2024出場に間に合わせることができ、2連覇に導きました
しかし、チームバスの祝賀ムードの様子を自身のSNSでライブ配信を行っていたところ、アルゼンチン代表選手たちがフランス代表選手に対して人種差別的なチャントを歌っているところが公開された形となり、後に自身の公式インスタグラムで謝罪をしています。

24/25シーズン、Enzo Maresca(エンツォ・マレスカ)が新監督に就任し、就任当時のコメントではEnzo Fernándezを主軸にチームを構成する趣旨のコメントも発していました
Enzo Fernándezは、開幕戦こそ攻撃的ミッドフィルダーで起用されたものの、それ以降はセントラルミッドフィルダーや守備的ミッドフィルダーで起用されています。
4節のボーンマス戦を体調不良で欠場したものの、それ以外の試合でここまでスタメン出場しており、Reece James(リース・ジェームズ)がケガで離脱している現在、キャプテンマークを巻いて出場しています
ここまでゴールやアシストはありませんが、加入当初や代表でよく見られていた、ロングボールによる大きな展開によって多くのチャンスを創出しています

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まとめ

チェルシーの背番号「8」を背負ってきた歴代選手を紹介してきました。
ざっくりまとめると、次のとおりです。

まとめ
  • 約13年もの間、背番号8を背負い、チェルシーでの最多ゴール記録保持者でもあるLampard(ランパード)は圧倒的レジェンドで、背番号8のイメージを塗り替えるのは至難の業。
  • Lampardの前後も、背番号8を背負ってきた選手は素晴らしい選手ばかり。特別な番号の一つであることは間違いない。
  • 2024年現在、背番号8を着用しているのは大きな期待を背負うEnzo(エンソ)。レジェンドの一人となってくれるはず。

Reece James(リース・ジェームス)が離脱している中で、キャプテンマークを巻いてリーグを戦っているEnzo。
Caicedo(カイセド)と共に欧州屈指の中盤を形成し、再びチェルシーを素晴らしい景色まで導いてくれることでしょう

Come on Chelsea!!!

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